昨日は、無駄なものほど良いという話をしました。
なので、何かしらの興味のきっかけになればと思い、新たに色んなコラムをお話します。
ある時は数学、ある時は化学、はたまた世界史や地理など…
僕は大学で化学を専攻していましたが、そもそもは高校時代に塾で面白い化学の先生に出会ったことから始まっています。
得意科目自体は、数学→化学→国語とコロコロ変わっていました(笑)
兎に角、その時は化学が得意になり、その中でも有機化学にハマっていました。
アルコールや、芳香族化合物、ベンゼン環を含む化合物…
我々が普段着ている服の繊維から、ペットボトル等のプラスチック類、殺虫剤や爆弾なども作れてしまうのです。
1つ1つの詳しい製法はわからなくても、ぼんやりと、「何から合成が始まって」「どこそこで分岐して」
「最終的にこれができる」というようなチャートが頭の中にスルっと入りました。
塾で1つ1つ教えてもらうと同時に「マジかぁ!」と現実世界に化学のフィルターが身に付いた感覚があります。
知識が現実世界と結びつくことで、現実世界の解像度が上がって見えるのです。
今までぼんやりと見えていた世界が、まるで高画質の画面を見たような感じです。
さて、学問の成り立ちってどこから来ているか知っていますか?
世界史上でわかることは紀元前の6世紀ごろから、ギリシアで学問が発達しだしたところから始まったとも言われています。当時のギリシア人の中でも経済的に余裕のある人が哲学者になりました。
哲学者って言っても、イメージだと「昔のえらい人はこういう考えをしていて…」「カントは…」「デカルトはこう言っていた」などのイメージが強いかもしれません。
元々哲学は、ギリシア語では「フィロソフィア」と呼び、「ソフィア」は知識のことで、「フィロ」は愛するという意味です。
しばらくあること…植物だったり、星の流れや人間など…を観察し、何かしらの発見をしたときは、誰かに話したくなるものです。
そういう人たちで集まって知的な議論を交わしていた時代があったわけです。
当時の哲学者は、今でいうと科学者にあたります。
また、当時のギリシアでは「スコレ」という言葉があり、意味は「暇」です。
暇な時間があったからこそ、会話をしたり、観察したり、議論をかわすことができるようになりました。
また、そういうことをする場所も「スコレ」と言われるようになります。
それが今の「スクール」という言葉の語源です。
もう勘づいているかもしれませんが、「スクール」、日本でいう「学校」は本来、そういう場所だったはずです。
古代ギリシア、紀元前6世紀の哲学者は、天体の位置を測ることができ、幾何学の知識で土地の測量をしたり、自然界のできごとをよく観察し、説明しようとしたのです。それがおよそ2600年の時をかけて、今の科学の発達に繋がっています。
今においての「スクール」は、先生が毎年同じ授業をし、子供達に画一的な教育を施し、皆が皆横並びで、同じ解答を求める場所になってしまっていたと当時のギリシア人が聞いたらどう思うでしょうか。
恐らく笑われてしまうでしょう。
上記からもおわかりの通り、勉強…という言い方はそんなに好きじゃないのですが、何かを学ぶなら「暇」が必要です。
「暇」があるから、何かを観察し、何かを作り出してみたり…
今の子供は周囲に色々なものがあるので、何とも言えないのですが、、、
昔の周囲にそんなに娯楽が無いときの子供は、暇があってもじっとしていませんでした。
土を弄って泥団子を作ったり、山や川を作ったり、木の棒や割りばしがあったら何かを作ってみたり…
紙があれば飛行機や小さい家や、船を作ってみたりすることもあります。
百科事典があれば夢中で読んだりしたものです。
運動がしたいときは外を走り回って探検したりだってしました。
どうやったら思った通りに水が流れるのか、はたまた紙飛行機が飛ぶのか、
転んで怪我をしたなら、次はどう探検するのが安全なのか…
そこから学んだことは多かったわけです。
今は学校や塾…はたまた家で勉強付けになっているのは暇といえるでしょうか。
かえって成績が悪くなったり、「僕は(わたしは)頭が悪いんだ…」と子供の自信も才能も奪ってしまっていることに気付いてほしいのです。
「どうやったら、子供の才能を伸ばせるの?」と思うかもしれませんね。
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記事:鬼の子寺子屋 教室長 宮嶋 貴大
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