多分、皆頑張って日々を生きていると思います。
しかしながら「努力しろ!」と言われたことはありませんか?
「努力」の定義は人それぞれ違っています。
学校で先生に言われたことを頑張ってやっているかもしれません。
あるいは、会社で上司に言われたことを頑張っているかもしれません。
確かに頑張って、必死こいてその課題を達成しても、褒められない。
あるいは評価されない、という声を聞きます。
残念ながらこれは努力ではありません。
「なんで?」と思うかもしれませんね。
僕自身も、最初の会社はそうでした。
学校でもそうだった気がします。
「課題が終わりました。次は何をやればいいですか?」と
新しくやるべき問題集を聞いたりしていました。
そして、問題集を教えてもらったら…解き終えてまた次の問題集を聞く。
学校ではそれだけでも「やる気があるな」と褒められたものですが、
社会に出ると、また違ってきました。
会社でも学校と同様に与えられた仕事をやっていました。
これができるようになったら…、報告をし、次の仕事が出るのを待ちます。
仕事の難易度は、自分の力量より少し上のものを渡されます。
それを頑張ってこなして、お給料をもらうわけですね。
しかしながら…頑張って努力しているはずなのに評価されない。
飲み会もちゃんと付き合っているし、職場上のマナーも気を付けているはず…。
なんで?と思い始めます。
しんどいですよね。
ただ、ある時から「頑張る」と「努力」は違うものだなと気づきました。
それに気づいたときは、別の会社で働いていたのですが
自分に課せられた仕事のスケジュールを効率化し、
早々に終わらせ、上司の意図をこちらで考えて「そのデータ作りましょうか?」と聞いたり
機械トラブルで困っている人を見かけたら、解決してあげたりすることで
「〇〇は宮嶋に聞こう」という流れを作りました。
また、自身の仕事を効率化したものを他者にも共有しました。
そのおかげか、比較的早く上司の方々に顔を覚えてもらうことができ、評価もしていただけました。
ここまでサービス残業などはしていません。
飲み会も殆ど行きません。
(社内イベントは面白かったので参加していましたが…)
この時「やはり努力とは、こうなんだ」と確信したわけです。
誰かから、与えられた課題は、確かに頑張らないとできないものも多いです。
しかしながら慣れていくと、段々と余力を残していくことができます。
その余力で、自分のレベルアップを自発的にすることを努力と定義しています。
余った余力で、今の仕事の最適化を行い、時間を作ることも
新たなスキルを覚えることも自由です。
自由だからこそ、自分でこれをやると決めなければダラダラと過ごしてしまいます。
心当たりはありませんか?
学校の宿題が終わったら、だらだら過ごすのも自由ではあります。
塾で与えられた課題をこなすだけでは伸びづらいですが、
+αで自分にできることを自発的に探す生徒ほど脳力が伸びていきます。
当塾では課題が課せられますが、その中には自由なものも多くあります。
ここは自分で「これをやる」と決めなければなりません。
この決定する力があってこそ、努力ができるようになるわけです。
学生のうちから、本当の努力ができる生徒を育てています。
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記事:鬼の子寺子屋 教室長 宮嶋 貴大
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