こんにちは、たかひろです。
突然ですが、今の僕が人生で2度死のうとしていたことがあったと言えば信じるでしょうか?
でも人の身体って強いもので、奇跡とでも言えばいいのか、今生きています。
当時は、何でそんなことを思ったかというと、大学に入学して、自分の身体(耳)の学習効率が悪すぎることでした。
すべてがうまくいきませんでした。
高校でもちょっと感じていましたが、話している声は聞こえる。
でも、音声が聞き取れない。
この違いは伝わりにくく、「大きな声で話せばいい」と思っている方も多かったと思います。で、誰の声かにもよります。
で、真面目に授業を聞いていても、終始、聞き取れないお経のようなものでしたから、眠たくなってしまうわけです。ろう学校に行けば良かったんじゃないかという声も聞こえそうですね。
当然、集団の会話が聞き取れないわけですから、多分空気は読めなかったと思います。
今はあえて読まないこともありますが(笑)
学生当時は「周りを見ろ」と言われたこともありますが、目で見たところで、というか目をずっと使って周囲を見ても情報量に差があるので、その行動がどういう(会話の)流れで行われたかわかるはずがありません。根本的な集団での行動の経験、情報量が違うのです。
空気を読めない自分が悪いのかな、とずっと思って生きていました。
仲良くしてくれた友人は何人かいましたが、基本的に1:1で話すことが主流で、3人以上になるとやはり会話がわからないのでどこかで孤独感を感じていました。
この感覚は他の聴覚障がい者も感じていたようです。
#難聴ボヤキ
健聴だった時、耳が聴こえない不自由さを想像しているつもりで全く想像できていなかったと思う。
特に辛いのは人と会話が出来ないこと。
この孤独こそ知って欲しいと思うが、健聴だとこの孤独は分からない。
1人でいるより、グループに混じっている方が孤独というのは辛いものである。→— Ayase@聴覚障害 (@ptor_force) February 10, 2020
で、大学でもそれは同じで、授業を受けてもサッパリわからないし、眠たくなるし、高校時代の点数が良かったという理由だけで化学科へ進学したので興味も沸かないわけです。
そのとき、あまりにもできなかったので教授に呼び出されて「お前は人の3倍やってやっと普通だ、努力しろ」と言われました。
既に、単位を取るためとはいえ、一生懸命聞こうとし、(それでも眠くなり)、教科書はさっぱりわからないという状況でした。かけた時間だけ見れば3倍どころじゃないわけです。
仮に100万歩譲って、人の3倍やって理解できたとしましょう。
それでも、24時間の中で8時間は寝る時間としたら
16時間のうち、一般人は努力する時間が2~3時間。それが終わったら好きなことができる。
その前提だとすると、僕が3倍努力したら6~9時間。残りの自由な時間は減るわけです。
障がい者に生まれただけで、学習効率が悪すぎるせいで、ここまで人生損した気分になるのか、と絶望が襲い掛かってきました。
勉強でこれということは、コミュニケーションや、仕事もきっと同じです。
そのたびに人の3倍努力して?
頑張って人並みになってどうすんだと(苦笑)
そんな気持ちになるのも無理はありません。
ずーっと表面上は明るく取り繕っていました。
他人が羨ましくて仕方がありませんでした。
健常者で、特に努力もしないで生きている人を見ると、その体くれよ、と思っていました。
タイミングは違えど、2回死のうとした理由は大枠で言えば同じです。
「明日も同じような1日なら、ここで終わらせたい」と思っていました。
今生きているのは多分、何らかの使命があって生き残ったのかなとも思いますね。
でも、今はHGMに出会えています。
やっぱり、障がいがあるとか、「頭が悪い」だとか「勉強ができない」っていう理由だけで何かを諦めるのって勿体ないと思うんですよ。
✅何らかの理由で学習効率が悪い
✅発達障害で勉強はできない
✅~の理由でこの子は頭が悪い
そんなことを言われて絶望している人の気持ちは痛いほどわかります。
そういった言葉を言われた親の気持ちも充分に伝わります。
だからこそ、上記のように「何をしていけばいいかわからない」
「どうやって生きたらいいのかわからない」という方を少しでも減らしたい。
何かを抱えている人の希望になりたい。
毎日「今日が楽しみ」という気持ちでいてほしい。
そういう気持ちがあっての「鬼の子寺子屋」です。
HGMでは特殊なトレーニングを行いますが、別に変なことはやらないのです。
人の根本的な学習プロセスをしっかりと見ていくので、障がいは関係無いです。
僕は現実的に言えば、100db(デシベル)の聴覚障がい者では最高ランクに属する「2級」です。
<2 級>
2 級の聴覚障害者は、両耳の聴力をほとんど喪失した状態にあるため、コミュニケーションにおいて音声言語を使用することがほぼ不可能になる。従って、聴覚以外の代替手段を用いることが必須となる。http://www.nivr.jeed.or.jp/ 資料より引用
そんな人が自信を持って普通に喋っているわけです。
基本的に聴覚障がい者は発音も違和感があると思うのですが、僕の場合、難聴であることを言わなければ気付かれないようになりました。
ここまで読んでいただけたらわかると思いますが、会話だけでなく文章も自由自在に書けています。
言葉に不自由することなく、書くことが好きなのであちこちで色んな記事を書いています。
この意味がわかるでしょうか?
HGMをやることで文字通り「鬼」のような「力」が得られます。
HGMはヤバいトレーニングなのです。
勿論学んで終わりではありません。
この「鬼の力」をもってして、世の中で好きなことをして生きていけるわけです。
あの時死のうとしていた僕自身が、未来が楽しみになっています。
かなり希望が沸いてきませんか?
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