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「考える」行為だけでも、人それぞれ頭で起きていることが違う

「考える」という言葉はおそらく幼稚園か小学生のときから教えられると思います。

子供は、考えている人を見て「自分も真似してみよう」として、その行為を覚えますが「考える」だけは実のところ頭の中は見えません。
考えている大人がその後どんな行為に結び付くかによって、子供たちは独自に「考える」を解釈していくしかないのです。

その結果として同じ「考える」でも、うまく使いこなしている人と、そうでない人に分かれます。

何故でしょうか?

「考える」という行為を実施しているときに、その定義によって頭の使い方が違います。

「何かを解こうとしている」時は〇です。

例えば、部屋の中にバナナがぶら下がっていて、部屋にハシゴや棒等がある場合はそれを使ってバナナを取ることを思いつきますよね。

目の前にある情報や今までの知識との関連性を見つけ、単純化し、目の前の問題を解こうとしているなら大丈夫です。

人によっては「どうしていいかわからない」と言いながら、

「とりあえずどんな方法でやるかを探す」ということをせず、

「やるべきか、やらないべきか」「どの方法が正解なのか」を悩んで、

「やらなくていいような理由を無意識に探し始める」

「やらなくていいように、その問題を難しいものと考え複雑化する」

行為をしている人も居ます。

上記の例でいえば「バナナを取るべきなのか?」というところからスタートするのです。

目の前の問題を「複雑化する」は癖になっている人もいると思います。

このループに入ると無限に悩みだして、実のところ問題について考えていないのです。

あなたの定義する「考える」は

簡単にしていく行為なのか
難しくしている行為なのか

どっちの意味でしょうか?

そこを振り返ってみても良いかもしれません。
是非「考える」というスキルをうまく使ってみてください。

いつでも学習相談、入塾相談を受け付けています。

    記事:鬼の子寺子屋講師 宮嶋 貴大

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