「日本語しゃべれ!」
「宇宙人!」
僕が小学校のときに通った塾の同級生に言われた言葉。
発音がうまくないというだけで、一般のところに混ざるとこんな感じでした。
中学校でも仲良くしてくれる人はいたけど、その一方で似たような虐めがあった。
大げさな変な喋り方で話しかけてきたり、
影で文房具を壊されたり見えないところで叩いてきたり…といったもの。
何か言っても、こっちの聞き間違いや言い間違いということにされる。
そういうのが積み重なってきたり、大学では虐めは無かったけれど、
仲良くなったと思った人でも、途中で関係を切られたりしたことで
コミュニケーションがわからず、人間関係を拗らせたりもしていた。
引き続き仲良くしてくれる人もいたけれど、そういうのが一人でも居ると当時はちょっとショックでした。
ハマると友達の作り方すらわからなくなるし、挨拶だってできなくなる。
会話がわからないだけで、
人との距離感もバグるし、空気や思いやりもバグる。
どういうのが正常な感覚になるのかわからない。
(※これは大学時代に色々試行錯誤して取り戻しましたが…)
難聴の仲間は中学校で聞こえる友達に通訳を頼りすぎて、
途中から友達のほうがその負担に爆発してしまい、関係が微妙になり
そういうのがしんどくて聾学校へ転向したと聞いた。
「無理して口話でしゃべりたくない!」
「手話の世界で楽しく過ごしたい」
その仲間も聴力は良くなかったとおもうし、僕も聴力は100db超えの2級なのでかなり悪いほう。
本来は僕も手話で会話しているレベルだと思う。
その子の気持ちも凄くわかる。
もしかしたらそういう選択肢もあったかもしれない。
でも、そうはならなかった。
口話ができるようになりたい。
難聴に生まれてきても、やっぱり口話で喋りたいと思うわけ。
何故かというと、何をやるにしても普通に健常者のほうが多いから。
難聴だけのところに可能性が無いとは言わないが、
いざ何かをやりたい!となったときに、
検索でひっかかるのは健常者前提の情報だったり(動画など)
難聴だけのコミュニティが無かったり…
ほぼほぼ健常者のコミュニティ。
おそらく「気にしないよ」と迎え入れてくれるところはあっただろうけど
集団になるので会話面で苦しむのは目に見えていて…
大学時代、心配してくれた母親は、手話サークルはどう?と提案してきてくれたり
そもそものコミュニケーションも拗らせていたときはカウンセリングを提案してくれた。
お店でもメニューをうまく伝えることができなかったときは流石に凹んだ。
「大きな声で」と言われるが、わからない。常に叫べばいいのか?
おそらく皆もそうだろうが、聞こえた通りのボリュームで自分の声を出している。
それが実際には相手に小さく聞こえるというのだ。
わけがわからなかった。
それでも何だかんだあって、やっぱり口話が諦められなかった。
「普通に喋りたい」
難聴がそう思っちゃいかんのか?ってどうしてもふとしたことに思う。
自分なりに色々試したりもして、ある程度話せるようにはなった。
僕も今でもまだまだ喋る訓練をしている。
一般人の話し方のトレーニングとは、色んなところの匙加減も少し変わってくる。
~というトレーニングをしましょう!というときに、
~っていうトレーニングはこれがわかっている前提だよね、というのがある。
それが難聴には伝わらない。
無意識に調整しているものではあるけど、骨振動の分、自分の声が大きめに聞こえる。
それに気づいたのは大分あとだったけれど、相手と自分が同じくらいの声で聞こえるとき
実際は自分の声のほうが大分小さい。
これは録音して聞いてみるとわかるけど、録音するまではわからない。
録音すると自分でも何を言っているのか聞き取れない。
こういうことがあると思う。
大きさも速さもわからない。
そこをわかりやすくしてどうやって鍛えていくか…
寺子屋で僕と一緒に口話の練習をしませんか?
冒頭で書いたけど、塾も難聴にとっては敷居が高い。
基本は健常者向け。虐めもあった。
だからこそ、ここではそんな心配はいりません。
また難聴向けの勉強コースも準備しています。
近々公開しますね。
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記事:鬼の子寺子屋 教室長 宮嶋 貴大
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